メロンソーダDreamer
知識が増えると、
世界は広がると思っていた。
でも実際には、
曖昧でいられる場所が、
少しずつ狭くなっていった。
夜のファミレスで、
一人でパソコンをいじっている人間は、
だいたい信用できる。
周りはだいたい、
なにかを待ちながら寝ているか、
仲間とまだ帰らない理由を探している。
その中で、
一人で画面に向かっている人間には、
何かしら事情がある。
家ではできない仕事。
誰にも見せていない原稿。
寝かしつけが終わったあとに、
どうしても進めたかった作業。
そういうものを抱えて、
わざわざ夜のファミレスまで来ている。
少なくとも、
その人は何かを終わらせようとしている。
僕もその一人だった。
SNSに載せる短編小説を書きに、
駅前のファミレスに来ていた。
知り合いに、
「文章で踊りたいんです」
みたいなことを言われた。
最初、何を言っているのか、
少し分からなかった。
でも、
素敵な言葉だと思った。
分からない言葉を渡されると、
使いたくなる。
さあ、
文章で踊ろうか。
パソコンを開く。
書きかけの短編小説を読み返す。
整っている。
整いすぎている。
読んでも、
心拍数が一つも変わらない文章だった。
なんか面白い話はないだろうか。
自分で書けばいいのに、
誰かを当てにした。
とりあえず、
コーヒーでも飲もう。
僕は席を立った。
ドリンクバーの前に立つと、
人は急に判断力を失う。
コーヒーを飲みたいはずなのに、
普段なら絶対選ばない緑色の液体を、
なぜか候補に入れてしまう。
男はなぜか、
ドリンクバーにあるメロンソーダだけは、
少し特別扱いしてしまう。
この現象に、
名前はあるのだろうか。
僕はメロンソーダを注ぎ、
席に戻った。
隣の席で、
大学生たちが話していた。
「俺ら、絶対なんかやるよな」
その言葉だけが、
妙にはっきり聞こえた。
「うん。なんかは絶対やる」
何も決まっていないのに、
全員満足そうだった。
僕の耳が、
勝手にそれを拾った。
画面を見ているふりをしながら、
もう続きを待っていた。
少しだけ懐かしくなった。
その“なんか”は、
まだ名前がない方がいい。
具体的にしなくていい。
今はまだ、
曖昧なまま持っていていい。
もちろん、
そんなことを彼らに言うつもりはない。
大人になった僕が、
画面のこちら側で勝手に思っているだけだ。
その曖昧な会話の進め方を、
僕はよく知っているからだ。
高校生最後の冬、
僕らはよく深夜のファミレスにいた。
本当は、
高校生が深夜に来ていい場所ではなかった。
でも、
あの時期はたぶん、
人生で一番将来のことを考えていた。
大学に行くやつ。
働くやつ。
何もしないやつ。
みんな行く場所だけは違うのに、
なぜかファミレスでは、
同じ夢の話をした。
不安だったから、
未来を大きめに言うしかなかった。
あの頃のファミレスは、
少しだけ世界から外れていて、
夢を語るにはぴったりな場所だった。
増田は、
いつもメロンソーダを飲んでいた。
メロンソーダを飲むやつと、
デカビタを飲むやつは、
なぜかそれしか飲まない。
しかも、
あいつらは必ず氷を噛みながら飲む。
力を誇示しているのか。
口の中でシャーベットにしているのか。
理由は分からない。
ただ、
聞いたら負けだと思って、
これまで聞かずに生きてきた。
増田は、
メロンソーダを飲みながら言った。
「俺ら、絶対なんかやるよな」
僕はうなずいた。
「で、何やるの」
「なんか」
「なんかって何」
「なんかは、なんかだろ」
増田は、
メロンソーダの氷を噛んだ。
ほらな。
やっぱりだ。
メロンソーダしか飲まないやつの二人に一人は、
氷を噛みながら飲む。
俺は知っている。
別の日には、
会社を作る話をしていた。
聞いている限り、
事業計画はほぼなかった。
資金もなさそうだった。
商品もなかった。
役割分担だけは早かった。
「俺、社長な」
「お前、副社長」
少しして、
増田が言った。
「あ、やっぱ俺、副社長にするわ。
お前、社長やれ」
「なんでだよ」
「だって、社長って面倒くさそうじゃん」
「社長って何すんの?」
「うーん。
分かんないけど、
なんか偉そうにしとけばいいんじゃない?」
「じゃあ、俺向いてるわ」
本当に、
何も分かっていなかった。
大人になると、
“なんか”に名前をつけなければならない。
名前をつけた瞬間、
現実が注文を取りに来る。
「お連れ様は何名ですか?」
「タバコは吸われますか?」
「お飲み物は何になさいますか?」
のように。
そして急に、
声の温度が変わる。
ご予算はいくらでお考えでしょうか。
納期はいつ頃をご希望でしょうか。
詳細は決まっていますでしょうか。
“なんか”のままなら、どこへでも行ける。
「最初は日本でよくね?」
「いや、海外だろ」
「アメリカ行くか」
「大統領と組もうぜ」
何を売るのかは、
まだ決まっていなかった。
言葉が曖昧なうちは、
未来は無限でいることが出来た。
曖昧な未来は、
たぶん本人にとって救いだった。
つらいことがあっても、
悲しいことがあっても、
大丈夫。
きっと俺ならやれる。
そう思っていられる場所を、
残してくれる。
画面に戻る。
カーソルだけが点滅している。
一行も進まない。
隣の大学生たちは、
まだ話していた。
彼らの会社は、
中国と取引するらしい。
あ、そっちね。
僕は小さく笑った。
だが相変わらず、
何をするのかは決まっていなかった。
隣の会話の方が、
自分の書きかけの文章より面白くなってきた。
気づくと、
鼓動が少し高鳴っていた。
彼らのことを、
ずいぶん優しい目で見ていた。
テーブルに置いたままだったメロンソーダを手に取る。
残っていた分を、
氷ごと口に入れた。
口の中で、
氷がぼりぼりと鳴る。
ダメだ。
大人になりすぎた。
優しい目で見て、
分かったような顔をして、
それで終わるつもりだった。
何者にもなれなかったという事実は、
まだエンターを押して確定されたわけではない。
自分の可能性が、
全部消えたわけでもない。
またどこかのテーブルで、
誰かと“なんか”の話をすればいいだけだ。
増田には、
言わないままになっていることがあった。
僕は一度、
本当に社長になった。
一応。
でも、潰れた。
増田を副社長にする前に、
会社がなくなった。
最近連絡を取っていなかったから、
そのことを言う機会もなかった。
急に、
告白したくなった。
名前がつくと、
始まるものがある。
でも、
名前がついたせいで、
終わるものもある。
“なんか”のままだったら、
一生、心の中に存在できたのに。
そうだ。
増田と、
また“なんか”をすればいい。
そう思って、
電話をかけた。
出なかった。
僕はしばらく、
画面を見ていた。
それから、
書きかけの短編を閉じた。
せめて、
文章にだけは残しておこうと思った。
増田のことを。
メロンソーダのことを。
氷を噛む音のことを。
まだ名前のなかった、
あの夜のことを。
新しいファイルを開いた。
タイトルだけ打った。
メロンソーダDreamer
口の中の氷を、
飲み込んだ。
なんか、
まだ間に合う気がした。





たまらんです・・・😊✨
短編小説を毎日読ませていただいている。
しかもそれが、人生の奥行きを感じる温度で、さわやかに鼻を抜けていく。
名前をつけていないものを表現するのってすごく素敵ですね。
分からない言葉を渡されると、使いたくなる。ってすごいわかります。
一時期、出来事や感情に対して「味わい深い」と表現することにハマってました(今もですが🤭)
今日も楽しく拝読いたしました。心が満たされます♨️